2008年07月20日

【映画】「崖の上のポニョ」

♪ポーニョポニョポニョさかなの子♪ というわけで、なぜか初日に行ってきました、 「 崖の上のポニョ」。

中身は、新しい解釈の人魚姫。あるいは、海版「 となりのトトロ」。 「 1000年女王 」というのも頭に浮かんだが、そういうことを知るとつけあがるキチガイがいそうだな。

切なさや哀しさとは無縁。主人公のソウスケは常に優しく、ポニョは常に積極的。共に聡明なので、見ていてイラつくシーンは一切ない。が、その分とんとんと進みすぎ展開にタメがなく、淡々として見える。 それで終わりかよとか、ポニョの父親役は中途半端だなとか、すべてのキャラクターの設定が相変わらず意味なく複雑で、ソウスケが母親を名前で呼んでいる理由などいろいろひっかかる要素を抱えたつくりは普通に考えたら邪魔なのだが、たいていの童話のつくりが一筋縄ではいかないものを内含していることを考えれば別にそうおかしなことではないのかもしれない。

話は呆気ない内容なのだが、しかし、そうしたことを批判する批評は本質が見えていないのだろう。見終わった後には爽快感が残り、みなポジティブに上を向いて歩いて帰る。明るい気分が持続する。そんな映画なのだから、やはり素晴らしいのだろう。そうした観賞後の気分を抜きにして作品の出来を非難する批評があれば、映画を見る感動とほど遠いところにいる人なのだろう。クレバーかもしれないが、冷たすぎる。そんな人物は、信頼しないほうがよい。作品の評価としては当たっているのかもしれないが、しかし、映画はその上っ面だけを評価するものではない。見たあとに観客にどういう化学反応が起こるのか、それを抜きにした批評は感想よりも役に立たないものだろう。 たとえばこんなのね → 激映画批評 「 崖の上のポニョ 」 | 映画批評なら映画ジャッジ! この映画を点数化するのは、無理。それを無理にすることに対してなんのためらいも持っていない点で、論評の価値なし、だろう。死のイメージよりも寧ろお気楽な前向きさかげん、無理やりなチアアップだと批判するならまだわかるが。養護施設の老人たちがみな車椅子いらずになっているのに、死のイメージがどうこうというのはオカシイと思うんだけど。前田氏の批評はネットで皆がいうほど酷いとは思わないが、どうも決めうちが多すぎるんだよな。なお、声優に関しては、所ジョージは今回正直邪魔。彼が悪いのではなくて、説明的なせりふが多すぎるせいですが。それもキャラづけのためなんだろうけど。ほかは悪くないですよ。

なお観客動員が少なくても、それが作品価値の低さには直結しない。なにせ皆が知り見ているはずの「 となりのトトロ 」はジブリ系作品のなかで最低の興行成績だったのだから(配収5.88億円。「ラピュタ」配収5.83億円よりわずかに上だが、「火垂るの墓」との二本立てだったため一本あたりの興行収入(当時の発表は配給収入)は「ラピュタ」の半分。なおジブリ以降では最低は「ホーホケキョ となりの山田くん」の配収7.9億円の様子。なお配収は2倍するとおよその興収になります。) 宮崎駿監督作品の興行成績はこちら

崖の上のポニョ

別のところで書いた記事: 「となりのトトロ」は名作扱いで、みんな見ているものとされている作品だが、 公開時の興行成績はジブリ系としては「ラピュタ」と並ぶ最低水準、 「火垂るの墓」と2本立てだったので実質、もっとも観客の入らなかったジブリ系アニメ、 である。ま、「カリオストロ」「 ナウシカ」「ラピュタ」からの流れを考えたら異質も異質なので仕方がなかったが、 「トトロ」のおかげでその後のジブリの路線がある。テレビ局と組みスポンサーをつけるという 策略もその反省からのようだ。 というわけで、「ポニョ」を見にいってきます。←あんまり混んでなさそう(!)なので初日にチケットとってみた。 入りが悪かったら、「花男」の入りがすごい云々なんて話すっとぶくらい映画界消沈しますけど大丈夫かねぇ。あれだけ耳にこびりつくテーマソングがしょっちゅうかかってりゃ大丈夫なんじゃないかと思うんだけど、案外満席になってなさそうなんだよなこれが。→で、見てきました。 こんなものを買った。−ムダ遣い日記−: 【映画】「崖の上のポニョ」 55点、なんて点数をつけた前田氏は下品→ 激映画批評 「 崖の上のポニョ 」 | 映画批評なら映画ジャッジ!。まぁ点数化しなきゃいけないと、こういう作品は困っちゃうと思うんだけど、そこを躊躇なくつけちゃうところが、偉いというかやっぱりダメというか。うーん、こんな喧嘩売る批評は、映画として楽しんでないということを暴露しちゃっているので、それはダメだよ。この映画を楽しむだけの度量がない、見る技術がない、と言っているのに等しいから。そもそも、宮崎駿監督はもう隠居する気なのだから、野心作を期待しちゃだめ。プライベートフィルムだと思って接しないとおかしな批評になっちゃう。すくなくとも70点つけてる 「ザ・マジックアワー」より低いってのは、ないと思うんだがなぁ。「 僕の彼女はサイボーグ」を採点不能としているのなら、点数つける必要もないでしょうに。

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2008年07月18日

イベント編成でレギュラー放送を飛ばした場合、それはダメージのほうが大きいのではないのか?

イベント好きお祭り好きというか一方向に流されやすいのが日本人の特性のようです。まぁ別に日本人に限らず人間全体の特性なのかもしれませんけど。

毎年この時期になると某局は24時間だ27時間だと放送しますが、あれ、私は見たことがありません。何が面白いのかさっぱり、というのと、そんなのに付き合ってる時間なんてないよ、というのとがあるわけですが、イベントというのは通常と違うということで、普段の暮らしと違って特別に時間を割かなければいけません。でも世の中のあらゆるイベントに、そこまでするほどの魅力を感じないんですよね。まぁ、好みの問題なんでしょう。

イベント自体のよしあし、興味はさておき、そのイベントによって、普段の生活は影響を受けます。場所や時間を使うわけなので、当然、普段あるものをどかすことになる。テレビでイベントをやれば、あるべきものは休止になる。

 7月27日(日)は、フジテレビ系列で特別番組が放送されます。そのため、同系列局の「日曜競馬中継」は中止となりますので、以下の局において中継いたします。
いつものことだが、あのくだらないイベントで一日つぶされるのかぁ、とうんざり。まぁフジテレビはよく考えたら競馬しか見ていないから影響はこれだけ。

そして最近はまだマシなBSフジを見ているので、そちらは普段どおりらしいからまぁいいや。加えて、こういうことが起こる日は、ローカル局でもメインを放送してくれる。千葉でも埼玉でも見ればいいのか。いや、グリーンチャンネルがノンスクになるので、スカパー加入者は喜んでGCにあわせればいいのだな。ま、それもこれも、金をけちってグリーンチャンネル解約しているからだろうと言われりゃそれまでなんだけど。

フジテレビとしては競馬やってるよりもイベントのほうが視聴率は高いし見てくれるひとも多い。広告も入るのだろう。普段はJRAがある程度くれるのだろうから視聴率はともかくも日曜の昼など広告は入りづらいからやる価値もあるのだろうが。

通常番組をないがしろにしてイベント組んで成功しても、それは目先の成功であって長期的にはマイナス、ダメージなんじゃないの、と思うのだが。イベントイベントっていうがなぁ、それって儲かるの?いや、全体の士気があがるとか、一体感が出るとか、宣伝効果が、とかいうんだよな。うーん、そういう効果測定不可なことを言っている時点で違うんだろうけど。でも長期的にマイナス、っていうのは短期でははかりづらかったりするから結局効果測定は難しいのか。

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水曜日はCX圧勝。

水曜日はCX圧勝。「ヘキサゴン」21.1、「はねる」18.7、「ベストハウス」14.1、「レッドカーペット」15.9、「グータンヌーボ」12.0。ま、この辺がピークでしょうが。ドラマはEX「ゴンゾウ」12.0と盛り返し。一方NTV「正義の味方」10.1と来週が正念場。しかし山田優への風当たりはなぜかくも強いのか。TX「水曜ミステリー」が11.2を記録する中、TBSは魔の水曜日、シングル(二桁利用率番組ナシ)というのがもはや常態。ざっと過去2週をみてもテレ東の水曜ミステリーが二桁なのでシングルなのはTBSのみ。2時間ドラマの力は数字面では強くて、火曜サスペンスを廃したNTVのしんどさと、土曜ワイドが順調なEXというところでも、テレビの難しさを感じるところ。数字が落ちたところで代替番組を作ると更に数字が下落するというスパイラル。数字の維持には変わらないのがいいのだが、そうはいっても売り場が決まっていて拡張できない窮屈なビジネスであるテレビでは、効率の悪いものは更新していかないといけないわけだ。
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2008年07月17日

火曜の視聴率トップは「歌謡コンサート」

火曜の視聴率トップは「歌謡コンサート」(NHK火20)の18.0%。NHK勢が上位にずらり、民放トップは17.2の「ぴったんこカン・カン」(TBS火18)続くのは15.3「開運!なんでも鑑定段」(TX火20)。かつて激戦区といわれた火曜21時だが、NHKはニュースに転換(13.3)、NTVは音楽番組(6.7だが音楽は行政番組なので数字は不問)、TBSは「大御所ジャパン!」7.4、CXはドラマ「シバトラ」12.2、EXは「ロンドンハーツ」13.7。波の上下動がクールごとに出てしまうフジドラマ枠はともかく、他は結局ここ数年番組をいじらなかったテレ朝とテレ東が固定客をつかんでいる。とはいえ見えてくるのはテレビ視聴者の高齢者ということかなぁ。実際老人とティーン、キッズしか見てないってのは視聴率に明確。キムタクの主視聴者は完全にF2にシフトしたそうですし。そして先週10.5を記録した「ガイアの夜明け」は今週も10.1と二桁維持。TBS「リンカーン」も10.5→10.1と見事に連動。NTV「学校じゃ教えられない!」は9.9スタート。まぁ実質この3番組は横並び。CX「モンスターペアレント」13.0、EX「報道ステーション」13.2。NHK「プロフェッショナル」10.3。あ、あれ?フカキョンドラマが最下位なのか、22時。

ところで。朝のワイドショー、現状はNTV「ズームイン」が復活でトップ、僅差でCX「めざまし」、そのあとにNHKが続いてTBS「朝ズバッ!」は離れた4位と、みのもんた息切れ気味。EX「やじうま」との差は少なく、振り向けば、状態。私は下世話なネタを朝から見たくないのでスイッチオフで8時からTXのグルメ番組という流れですが。ま、8時以降のワイドショーよりも7時台までの番組のほうが中身は真摯だし健全ですね。8時台は「はなまる」が手堅いことにほっとする。どうせなら奥さんにはあれを見ていて欲しい。他は殺伐としていてどうも。あ、テレ東でグルメ番組から株式番組という流れでも素敵ですが。

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2008年07月13日

【映画】「スピード・レーサー」は何処がダメだったのか。

面白そうに思えた「スピード・レーサー」が何故世界的にヒットしなかったのか。 何処がダメだったのか、といえば、キャストを除いたすべてがダメだったから、 なのだろう。

絵は、格好いい。1カットだけ抜き出せば素晴らしい美的感覚である。 が、見ていて全然興奮しなかった。心躍らない。わくわくしない。 新宿ミラノ座で見てそうなのだから、大画面で見ての迫力がないのだ。 なんでかな?たぶん、速すぎるのだろう。かちゃかちゃしすぎていて、 速さを体感する前に、次の風景に流れていってしまっているのだ。 速いと思うには、ジェットコースター的に自分主観で周りの景色が 流れるさまをみるか、あるいは競馬の直線の攻防のように、 俯瞰で切り取られたフレームのなかで他との対比で映し出される必要がある。 が、この作品ではカットが次々変わる。そうすると視点の 置き所が一定しないので、どんなに早そうに見せても体感できない。 この、速さを味わえない、というのは最大の失敗。 なにせ、それしか見せ場がない話なのだから。

レースのむちゃくちゃさは面白い。が、無軌道すぎて、 何でもあり加減についていけなくなる。 物語も設定も最初は少しの違いにして、徐々にハードルを上げていって 最終的に暴走する、というのが狂気の描き方。 最初っから狂気じゃあ、近寄れないよ。

何せ、主人公が正義の側のように描いているが、 いやいや、悪人たちとおんなじようにやって対抗しているじゃない。 それはそれでいいのだが、反則とされる行為が、 それ以外の行為に比べてそんなに悪いことなのか、 がよくわからない。

クルマをぶつけあうわ、ジャンプして一回転するわ、 という話なので、反則も何もないのだ。 そして、そういう無茶苦茶さを、最初から出してしまう。 これは、「ドラゴンボール」を、力のインフレの起こった 最終局面から読むようなもので、それはなんぼなんでも 見る側はついていけない。順序良く小出しにしていかないと、 観客は戸惑ってしまう。

そして、レース以外のシーンは家族愛を描いているが、これはほぼすべて退屈極まりない。話の流れを止めるばかり。 クリスティーナ・リッチウィノナ・ライダー 目当てに見た「 恋する人魚たち 」の頃からファンです) は、唇の色は強調しすぎなんじゃないか、まぁでも この映画では仕方ないのか、と思うが、もっとふっくらしてた ころのほうが好みかも、いや、そんなことより、 なんで全身を映すシーンが少ないんだ?というか、全体にバストショット ばっかりなんだ、この映画。その辺の絵作りで、天地の狭さを感じることが多々あった。

加えて。子供を取り込まないと、と考えたためなのか、 年少の弟を重用しコメディリリーフに使ってかき回すのだが、 そのシーンがことごとくテンポが悪くつまらないのだ。 それで全体を幼くしたことが大人受けを悪くしているようにも見える。 RAINってのはピの人なんだと思うが(なんと彼は 同時期公開映画「 カンフー・パンダ 」のサントラにも参加している)、 真田広之を起用したり、ワールドワイドというか 日本市場のことも考えているのはまぁ偉い。のだが、あんまり実を結んでいない。 エンドロールも 「マッハGoGoGo」 へのリスペクトをしているが、日本人はそんなに 「マッハGoGoGo」に思い入れがないというのは わかっていたのだろうか?日本でもヒットしないというのは ウォシャウスキー兄弟にとってはもしかして誤算だったか。しかし 彼らは「マトリックス 」がヒットしちゃったことで、適当な組み立てでもいいのだ、 と誤解したのだろうか。話運びが杜撰もよいところ。シャマランとおんなじなのかなぁ。まぁ「 バウンド 」なんかもあるし、「 Vフォー・ヴェンデッタ 」はそれなりだから、一発屋のセンスレスとは思わないんだけど。

残念な映画でしたが、3Dには向いてそう。 それにしたって画面がわちゃわちゃ動きすぎるので その修正をしないと観賞に堪えないと思うが。

スピード・レーサー公式サイト

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2008年07月06日

【映画】ザ・マジックアワー

三谷幸喜 作品、ということで、これは見ておくべきなんだろうな、と「 ザ・マジックアワー」に行ってきた。→ 公式サイト

なんぼなんでも、無理があるだろう。

企画の段階でなぜもう一ひねり二ひねり、という話が出なかったのか。無国籍ギャングもののパロディ、という、今なぜ?感たっぷりな舞台立てなのに、そこに更にもうひとつ無理な設定を重ね、本物の殺し屋のかわりに映画の撮影と騙して売れない役者を引っ張り出し演じさせる。しかし、シナリオなし、監督経験なし、ほかのスタッフも役者もカメラも、という状況は無茶。流石にマネージャーはこれはオカシイと勘ぐるわけだが、うーん、ここは、役者は信じていないのにマネージャーは乗り気というほうがまだ話として理解できたような気がする。

コメディに繋がるためには暴走が必要だが、それが弱い。誤解が誤解を招き、皆の思惑が交錯して、混沌ののち仰天意外な着地をするというのが三谷芝居というかコメディの基本だと思うのだが、 役者として連れてこられた 佐藤浩市の演技は見事な怪演で素晴らしいものの、彼ひとりでは物語が暴走しきらない。

この程度で笑えというのか、 金のかかった学芸会だな、 とまでは言わないが、 役者の豪華さを考えたら、もう少しプロットを練って傑作佳作を狙ってほしかった。とはいえ役者の揃った佳作傑作なんて滅多に見れないけどね・・・

綾瀬はるか は綺麗だったし、 深津絵里の歌も久々に聴けたようだし、見て損はなかったけれども、 「 ラヂオの時間 」がいかに素晴らしい作品だったかを実感する一作だった。

参考: こんなものを買った。−ムダ遣い日記−: 【映画】THE 有頂天ホテル

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2008年06月26日

「マクロスF」を見る。

マクロスF

6月も終わりそうなこの時期にようやく見はじめました、マクロス・フロンティア。初回を録り逃したのでアニマックスを待ってたから、ですがそれでも5月には参戦できたんだよな。で、バレーボールかなんかの余波で30分延長をやられたおかげで10回目も欠けているのでこれもアニマックス待ち。迷惑なんだよなぁ。追っかけ録画できるレコーダーを買え?まぁそうかもしれないが。→スカパー!おまかせプラン

で、感想・・・絵、すごいねぇ。広告で入る「劇場版 愛・おぼえていますか」とは歴然。でもこちらはこちらで味があって好きなんですけども。

歌に関しては、なんでしょう、格好良くしようとするとそっちにいっちゃうのか、と、あんまり感心はしておらず。菅野よう子 だったら「攻殻機動隊 」シリーズのほうが格好いいとか、マクロスといったらリン・ミンメイ=飯島真理だろうとか、飯島真理ファンの私は特に思ってしまうわけだが、それでも聴いていると「マクロスF (フロンティア) O.S.T.1 娘フロ。」が買いたくなってしまう。♪私の彼はパイロット♪をカバーしたのは素晴らしいが、ランカ役の子は歌声が案外低いので印象が違う。っていうかランカ・リー オフィシャルブログ なんてものもあるのか。1話めの「娘々」CMなどマクロス愛が素敵。

内容は、これ、難しいなぁというか、ついていけるのか?普通、と思うが、マクロスビギナーというわけではないし理解する気まんまんなので、まぁがんばりますということで、皆そうなんだろう、DVRの録画データではドラマと並び「 コードギアス」と共に週間トップテンに入るという具合。マニアちゃん多いんだねぇ。

死が身近にある世界で、三角関係ラブコメ展開、そして愛が救うのは地球程度だが、歌は世界を救うのである。たぶん、今回も。いや、どうなんだろう・・・

で見続けるとやっぱりはまってくるんだな。魅力っていうか、作り手と見る側との意地だな。

でTBSの放送をみていると、 「空の境界」のDVD広告が入る。坂本真綾はあっちは声のみで歌は別、「マクロスF」はオープニング曲のみで出演なし。ちぐはぐ?しかし坂本真綾の歌声はいいなぁ。

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2008年05月23日

ペア券につき2名様別々の入場はお断りします、という試写状

映画の一般試写状の文面を見ると、某赤坂方面のラジオ局が催す試写会は表題のような文言が書いてある。
ペア券につき2名様別々の入場はお断りします。
是非に関しては、主催者がそう言うのだから良いも悪いもない。が、これを徹底していた場合、かなりの反感を買うのではなかろうか。

試写会の設定時間は、なぜか早い。6時開場、6時30分開映が基本だ。まぁなぜもなにも、会場がたいていは9時までもしくはそこを境に値段が上がる、といった事情なのだろうが、招待客からしてみれば、仕事帰りにそんな早くにつけないよ、食事を抜けってことかしら、ということが多い。

そうした、そもそもが呼ぶ側の都合だけで決められた時間設定のうえに、ペアで招待なのにチケットは一枚だけ、しかも一緒に来い、というのは、ずいぶんな話である。無料で招待してもらっているのだから不平を言うべきではないのかもしれない。が、その「無料で招待」が、して頂く感よりも、してやってるんだありがたく思え感がより強く漂えば、それは主催者側にとって果たしてプラスといえるのだろうか。 イベントに訪れるたびに、主催側の体たらくにマイナスイメージを醸成させてしまうのは私がお祭り嫌いということもあるが、やらなきゃいいのに、という催しごとが多い。

要は、
・ペアで招待ならチケットを2枚送るのが基本
であるのを一枚で済まそうというのは経費抑制か知らないが怠慢であるし、
・チケット一枚でも受付で対応してくれる試写会が多いなか、文言を明記してまで拒否する運営のまずさ
はいかがなものか。おそらくは以前何らかのトラブルが生じたのでこうした文言を明記することになったと思しいが、だったら多少の経費を考えても試写状2枚を送るべきなのではないか。

ただ、金券屋やネットオークションを考えると、チケット一枚で住所氏名明記で送りたい、ということなのかもしれない。しかしそれにしても、そんなに嫌がるのであればそもそも一般試写などやらなきゃいいのに、と思いもするのだが。

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【映画】「ラスベガスをぶっつぶせ」−題材は面白いが並みの映画の調理法で片付けてしまった。

ラスベガスをぶっつぶせ」 (→公式サイト)は、実在した人物に取材したノンフィクションを原作とした作品。カジノで唯一客が勝てる可能性のあるギャンブル、ブラックジャックを、MITの頭脳明晰な学生たちがカードカウンティングを駆使して攻略する。

アジア系主人公を映画にするにあたり白人に変更してしまったこの作品の製作が日本資本のソニーというのは皮肉。現実には、白人でギャンブルをしかも大金賭けてやる人物などおらず、そうした人物はすぐカジノ側に目をつけられてしまう、その点アジア系はギャンブル好きだし金持ちのボンボンがいてもそういうものと思われがちなのでノーマーク、ということで、原作ではみな非白人系のみスカウトしてチームをつくっている設定となっている。が、この辺の事情は観客の理解していることではないと思うので、変更により映画がつまらなくなったということはない。アジア系俳優がクールな作品の主役を張る機会が失われてしまった、という点は残念かもしれないが。

一方で問題となる原作の変更点もあった。それは、主人公の性格。原作では冷静沈着、クール。で、寧ろ慎重派なので、映画版のように、かっとなったりはしない。なので窮地には陥らない。出入り禁止には追いやられる場面はあるが。そして、軸足はギャンブル以外にも置いており、就職もして二股をかけている。それがギャンブル一本やりのチームメイトに排斥される原因になっているのだが、原作ではカネの心配はない。カネの管理もマメ。国税対策もばっちり。カネのためではなく、スリルのため、普通じゃ経験できない生活のためにカードカウンティングをするが、しかしそれだけでもやはりバランスが悪いと自覚してまともな職にも就いている。

映画では5人のチームのみが動いているが、原作ではスポンサーは複数のチームを抱えているらしい。そしてスポンサーは激怒もしない。原作どおりにつくる必要は勿論ないが、映画版では人物をまとめすぎたため、キャラクターに一貫性がなくなっている。そのうえ、話があまりにも映画のルーティーンにのっとりすぎていて、どこにでもある物語に落ち着いてしまっている。ギャンブルは割りにあわない、という結末にも見えるが、原作ではみな偉く稼いで、それを元手に現在のビジネスを動かしているのだから、話が全然違う。原題「21」ならそれでもいいが、邦題「ラスベガスをぶっつぶせ」では、全然ぶっつぶせていない。題名にそぐわない。

ただ、カードカウンティング、確率、というのをテーマにしたのは面白い。単純化してみせているのでずいぶんと極端ではあるが、「3つの扉のうち1つが正解、回答者はある1つを選ぶと出題者は残りの2つのうち1つがはずれであることを示した、では回答者は次にとるべき行動はいずれのうちどちらか。A)そのままの扉でステイ B)もう1つの扉に変更する」の出題をわかりやすく示して見せたのは上手かった。ま、これ自体は モンティ・ホール問題ってやつですが。

こんなものを買った。−ムダ遣い日記−: 【本】「ラス・ヴェガスをブッつぶせ!」にまつわる話。

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2008年05月21日

【映画】「名探偵コナン 戦慄の楽譜(フルスコア)」・・・それはいくらなんでも狂いすぎ。

名探偵コナン 戦慄の楽譜(フルスコア) 」( →公式サイト) は劇場版第12弾。音楽学校やホールで起こる演奏家を対象とした殺人もしくは殺人未遂事件。コナンたちが関わることになったのは、そのホールの建設を請け負ったのが園子の家、鈴木建設であることから。

園子というお嬢様のおかげで色々話が自然に広がる点でこのキャラクターをつくったのは賢い。ところで話は・・・なんですかね、これ。犯人は、帰りにトイレで小学生のお子が「バレバレだよな!」などと言っている程度。難しくないのは良いとはいえ、動機はともかく、それでそんなに恨んで無関係なひとを巻き込むというのはいかがなものかと。見終わったあとで脱力感が襲うのは、劇場版コナンではよくあること。サムズダウンな出来でございました。ただ、見ている間は客をひきつけておくだけの話運びがなされていて、最後はなんだかなではあるものの、充分評価に値するつくりではあるのかな。隣で家人は寝てましたけど。

その直前に「しんちゃん」を見ていたので、それから「コナン」をみると、アニメーションというよりも、紙芝居だよなぁという気がしてしまう。

見ている間の評価は、まずまず。見終わってからの評価は、ダメダメ。ところで、なんでエンドロールは実写映像が入って、ニュージーランドまでいってロケしてんの?いや、別にいいけどさ、だったら映画本編の出来をもっと・・・と思わずにいられない。

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2008年05月20日

【映画】「クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者 」佳作も、しんちゃんとしては並?

クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者 」( 公式サイト)は映画版第16弾。パラレルワールドの暗黒世界が地球を侵略しようとする。それを勇者が守り、選ばれし者が助ける。その選ばれし者が、のはらしんのすけ(永遠の5歳児)であった。

パロディセンスは勿論健在、アニメーションの可能性を探るチャレンジングな絵づくりがなされていて、パラレルのドン・クラーイ世界により変化させられた景色にはスケール感を感じる。

並みの映画、たとえば「コナン」よりも内容の充実度、面白さは上。なのだが、今回すっきりしないのは、しんちゃんの役回り。無敵でないのは良いが、今回のトラブルはよくよく考えればしんちゃんが引き起こしている。それでいて逃げ腰。戦うが結局のところしんちゃんがどうこうではなく道具のおかげで勝つ、という展開。途中は野原家の家族パワー強し、な描写はあるのだが、そのまま終わらない。そこが並みの映画ではなく、一本調子の構成ではないのだけれども、正直長い。幼稚園の友人つまりかすかべ防衛隊の活躍はなく、春日部防衛隊ファイヤー!も当然ない。そういう話があっても構わないわけだが、しんちゃんまでもが主体性がない点で見ていて戸惑った。

ディープな社会問題をさらっと触れていく目配り加減はオトナな内容。ところで、帝王による独裁社会を防ぐのが本作だが、いや、案外あの独裁社会での生活は楽園なんじゃないかと思わないでもない。満ち足りた不自由と、不満足な自由、どちらを選ぶかという究極の話に持ち込まずに済ませてしまったのは、「劇しん」としてはゆるいまとめかたではないか。まぁ大抵、独裁社会は不満足な不自由になるものだけれど、その独裁社会を打破するとより不満足な自由になって昔は良かったになるんだよね。その点どうにかこうにかやっていこうとしているロシアは評価すべきなのではないかと。いや、クレしんにそんな話は一切ありませんけど。

劇場版クレヨンしんちゃんは、 9作め 「 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 」がやはり傑作で、 「 三丁目の夕日 」よりもこちらのほうが"郷愁"を体現している。未見の方は是非。 10作め 「 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦 」は泣かせて終わりという異色作でこれも評価が高いがナイーブすぎるかな。

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2008年05月14日

★【映画】「幸せになるための27のドレス」言いたいことはハッキリ言おう!

他人の秘密を暴きたてて、すっきりしましょう!という映画。違うか。言いたいことははっきり言わないとね。溜め込んで爆発したら怖い怖い。

上司のことが好きで、周り中はみな知っているが当人だけは気づかない(この時点で脈なし)。そこへモデルをやっている妹が帰ってきて、いきなり恋に落ちる。で、人の世話が好き、とくに結婚式の世話が好きな姉は、二人の結婚の面倒も見ることになる。

一方で、ある結婚式で出会った男性。第一印象は最悪。でも実は自分が好きな結婚記事を新聞に連載しているライターだと知る。反目しあうが結構似ているところがあって、意気投合してそういう関係にもなるのだが、書いた記事のおかげで破局。でも・・・

というべたな恋愛もの。それだけなので、見ている間は面白いが、終わったあとに話をするかというと、どうなんでしょう。よく出来ているだけじゃあ、ダメなのかなぁ。

キャサリン・ハイグルは美人なのに時としてダメな顔があるのはトニ・コレットのよう。あと、身内にあんな仕打ちをしたら、とてもじゃないが何年何十年と亀裂が入ったままになると思うのでリアリティなさすぎ。まぁいいんだけどね。結構ブルーな部分が多いので、めでたしめでたしと言われても。ヒロインが自分で何かしたかというと、好きだって言ってくれるひとに、あたしも、って言うだけだからねぇ。このご時勢につくる映画なのか?でもこのご時勢だからか。

そんな内容の割りに恥ずかしくないのは、演出がうまいからか、素っ気無さ過ぎるのか。バーで歌って踊るシーンなんかはいいと思うんだけど。「 普通じゃない」のダンスシーンのノリ。でもあれより勢いがない。お上品にまとまりすぎかな。うーん。よくできてはいると思うんだけど。

幸せになるための27のドレス公式サイト

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2008年05月10日

【映画】志は高い。『バブルへGO!』

いまさらですがビデオで見てます。「007」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」あたり含めていろんなパロディを含めつつ、それが綺麗にはどうしても日本ではできないので(だから日本のドラマや映画は見るに値しないレベルにとどまっているわけですがこれはもう未来永劫埋めるのは無理なギャップ)、コメディスケッチにしかならない点が評価を微妙なものにしていそうですが、いや、社会的なものを題材に、それをコメディに転化しているのは立派。日本じゃそうはないが、この手の作品は10億円前後で終わってしまうのもまた現実。「三丁目の夕日」なんかよりも高度な内容なのだが、続編ができたりみんなに受けたりするのかはどちらか、を考えると、低きに流れるのも当然か。「三丁目の夕日」が悪いとは言わないが。 ただこうした、歴史上のifを生かした、本当の意味で意義のあるフィクションこそが、ノスタルジーにひたるよりは評価されてしかるべきでしょう。もちろん、ifを扱う分、批判にはさらされますけれども。

そうだ、愛しの吹石一恵さまは、ああ、やっぱり時代間違えて生まれてきているかも・・・と思うボディコンのハマリかただが、そんなことより劇団ひとり は芸達者だなぁ。すごいよ。

バブルへGO!! タイムマシンはドラム式公式サイト

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★【映画」 綾瀬はるか はかわいい。『僕の彼女はサイボーグ』

僕の彼女はサイボーグ 』は配給ギャガ。宣伝どころではなかろうに・・・アミューズが絡んでいるのね。

内容は、サイボーグという表記がよろしいか別として。サービス精神旺盛。これでもか、これでもか、というネタを用意している。これはすばらしい。だけど、30分ほど長いかな。

綾瀬はるか は、かわいい。彼女の百変化、とまではいわないが、サイボーグと生身の姿と、魅力炸裂。

話運びは、エピソードの切り張り感があり、ところどころ楽しいが、ところどころ間延びする。特に、故郷に行く場面は正直意味がない。架空のものを見せたところでどうするのか。

いやいや、欠点はいいや。だいたい、とんでもない展開を見せるので、欠点は展開ではなく、間延びすることだけ。そんなバカなという転がりかたをするのだが、なんとなくつじつまがあったように見え、ハッピーエンドになる。強引だが、それでいい。見終わっていやな気分になるよりは。

綾瀬はるか を見るだけの映画、ではあるけれども、それだけで十分。ただ、映画館でみるほどのことはないかも・・・・・・なんていってはいけないが・・・

僕の彼女はサイボーグ

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2008年05月08日

おお!やっと出ますか!ケロロ軍曹DVD−BOX

ファーストシーズンがとうとうBOX化!

ケロロ軍曹 第1シーズンDVD-BOX発売決定ということで、出ます!第1シーズンは、原作に沿いつつ、かつギャグをマニアックなもの中心に投入、オトナが楽しめる作品となっていました。いまや子供仕様になりつつある本編も、それはそれなりに楽しいですが、やっぱり1stシーズンでしょう! →ケロロ軍曹1stシーズンBOX アマゾンにも商品が登場、予約可能。23310円で受付中ですが、もしこれよりも下がった場合はそれ以前の予約者全員にもその新価格が適用されます。

 今回発売になるDVD-BOXは13枚組で、第1シーズンの全51話を収録する。映像特典にはノンクレジットオープニング・エンディングのほか、「ケロロ軍曹 パイロット版」などの貴重な特典映像が収録される。 また、ボックスの絵柄はキャラクターデザインの追崎史敏さんによる描き下ろしイラストとなっている。
8/22発売、初回限定。なお、31500円が本来のお値段です。

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2008年05月06日

【本】「ラス・ヴェガスをブッつぶせ!」にまつわる話。

MIT=マサチューセッツ工科大学に通う、つまりは数学的才能に長けた学生が、チームを組み、イカサマではなくカード・カウンティングという合法的な手段でもって、カジノ相手にブラックジャックで荒稼ぎする。そんな実話に取材したノンフィクション、 「ラス・ヴェガスをブッつぶせ!」 が、告知された2004年だかの映画化を遥かに期間超過した今年、ようやく公開された。原題"21"は、ボックスオフィス首位のスタート。ヒットである。が、こんな記事がアップされている。

「ラスベガスをぶっつぶせ」なんかぶっつぶせ! - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 に、え?なんで?と思ったが、聞いて納得。

アジア系キャストが主役を張れる話なのに白人に変更になっちゃってて総すかんという内容。まぁヒットはしてるんだけどね。そういう点で変更して当然だったのじゃないか、みたいな話になっちゃうわけだが、そこで 08年暫定ベスト1映画『ハロルド&クマー/グアンタナモからの脱出』 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 が生きてくるわけだ。前作は2004年7月公開で全米7位初登場 (週末548万ドル/2135スクリーン)。で、今回は最新のランキングで全米2位初登場、週末1490万ドル/2510スクリーン。まぁそれでも「21」の2410万ドル/2648スクリーンスタートにはかなわないんですけれども。

で、日本公開されない後者はともかく。前者はそれでも楽しみ。原作を読んでいるのだが、映像にしたら魅力的な絵になりそうな話なのだ。 でも、町山氏が指摘するとおり、この話は本来、白人では成り立たない。本文でしっかり記述がある。ギャンブルが好きなのは圧倒的にアジア系。白人でもギリシャ系といった類。ふつうの白人はギャンブルに寄り付かない。なので白人では逆に目立ってしまう。目をつけられない、というのが大前提のカードカウンティングでは致命的だ、と。逆にアジア系がギャンブルをしていても極めて自然。石油王やソニーの株主の息子だと思われると。それは極めてカジノでは自然であると。

そういう前提をすっとばした映画は、ずいぶんと無理が生じているか、薄っぺらくなってはいるのだろう。まぁそれを確認してくるか・・・癪だけど。ちなみに、ソニー作品。

→「ラス・ヴェガスをブッつぶせ!」この原作はお薦め。でも、スリリングだけど、格好よい、とは言い切れない。すっきりしない。ある種のカタルシスはあるが、現実であるがゆえに、その終わり方は急で尻切れトンボな感じ。真相も明らかにはならない。それが現実なのだ。

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2008年05月01日

【映画】「バンテージ・ポイント」面白かったんだけど、それだけじゃヒットしないのか・・・

バンテージ・ポイント」は題名が頭に入りづらいというか「バニシング・ポイント」だっけ?などと混乱してしまって相変わらず覚えられない。で、デニス・クエイドが出ているのだからそう駄作ではないだろう、と予想する。シガニー・ウィーバーウィリアム・ハート、さらに曲者フォレスト・ウィテカー の名前があって、後者の場合は出る作品も撮る作品も波が激しいんだよなぁと不安にはなるが、いや、見てみればこれは佳作でした。B級エンタテインメントではありますが、とことん作りこんだ手抜きのない作品。

話は本来は簡単。大統領狙撃計画があって、裏切り者がいて、それを主人公が追い詰める。オーソドックス。でもそれを、同じ場面をいろいろな人物の視点から描くことで、目先を変え、事実を小出しにする。この小出しかげんが上手い。 同じ場面を視点を変えて何度も描くことで話が重層的になる。

そしてそのうち、追いかけっこがカーチェイスになっていく。最後には、なんだかなぁな結末で、人を人と思わない悪党のように見えても、突然の事態にはつい反応してしまう、という落とし方は主人公の行動と無縁の結末ですっきりしないが、まぁ、まとまっているから良いのだろう。裏の裏のラインまで描いている話に心地よく乗りました。90分という尺にも拍手。締まった100分未満映画は大歓迎。

こういう映画に、オヤジたちが行かなくなっちゃってるのが問題。自分たちの居場所をなくすのは自分たちの行動なんですね。

バンテージ・ポイント

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【映画】「フィクサー」格好よくない主人公も、ジョージ・クルーニーにやられちゃ格好よく見える。

フィクサー」はおよそフィクサーという感じはせず、実際原題は"Michael Clayton"なわけで、そんな高所に立った話ではない。

主人公は法律事務所の何でも屋というか掃除屋。自分のポジションに焦りを覚え、合併から居場所を失う可能性も考え、サイドビジネスに手を出すが身内が原因で失敗する。妻子は新しい家族がいるらしい。ギャンブル狂いで手元にカネは残っていない。そんな状況を、はっきりとは語らぬままに物語は進む。なので家族の構成は結局説明しきらぬままで、どういう状況なのかはよくわからない。そうした説明のなさは、それで話がわからなくなるというものでない限り、好感が持てる。なんでも説明すればよいというものではないのだ。物語のうえで過剰な説明は邪魔になる。ルールもわからずにプレイできるのがいいゲーム。

ところでこの主人公は、そんな感じなので、全然格好よくない。颯爽としていない。でも、ジョージ・クルーニーなので落ちぶれては見えない。それはいいのか悪いのか。でもしょぼくれすぎていたら見る側が滅入ってしまう。最後の最後のシーンを際立たせるには、やはり彼くらいの存在感がないと決まらない。やっぱり彼で良いのだろう。

話はあるシーンから遡る。冒頭の重要なシーンは再び繰り返されるわけだが、事情を知って見る二度目のシーンは別のスリルがあって引き込まれる。この使い方は上手い。というか、こういう使い方ができないのであれば冒頭にシーンを抜き出してくる意味がない。

一方で、なんであそこで降りるのか?なんでそこでボタンを押すのか?ちょっとご都合主義に見える。

ご都合主義といえば、暴走してしまうヒロイン。ええと、そこまでしますかね?まぁ、しちゃうかもしれないですけどね。裏の人間とのやりとりは、ここはたぶんクスクス笑ってもいいところ、なのだろう。俺に言わせるのかよ、何をして欲しいのか言えよ。で、意図を汲んだ裏の方々が、ターゲットのもとに行く際に、髪の毛を落とさない処理なんかをしていて、その手際含めて笑ってしまう。いや、笑い事じゃないシーンなのだが、ユーモラスですらある。そんな彼らが、主人公に対してはちょっとぬるくない?という気がするのだが。急いでるからといえばそうなのかもしれない。

で、私は主人公は過去に別れを告げるのかとばかり思った。が、クライマックスはまっとうなものが用意されていた。このたたみかけはテンポよく、そこですぱっと終わらせるのは、腕。トニー・ギルロイは「ボーン・アイデンティティー」シリーズの脚本書いてただけのことはある。ただそれ以前の作品が「ディアボロス」だったり「プルーフ・オブ・ライフ」だったりと、微妙な感じではありますが。

フィクサー (ジョージ・クルーニー主演)

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2008年04月20日

★【映画】題材の割りに地味−ブラックサイト

ネットで処刑サイトが出現。アクセスが多くなればなるほど、死刑執行が早くなる。

ブラックサイト』(→ 公式サイト)はそんな映画。原題は"the untraceable"の様子。天才的な人物がそれを犯罪に使い、FBIと警察が追いかけるが翻弄される、という内容。ヒロインはネット犯罪捜査を行うFBIの捜査官。彼女たちの近辺にまで犯人の手が伸びる。

いくらでも残酷で下世話になる内容ながら、節度ある描写で、残虐性はきわめて薄い。話の運びも丁寧で、映画的には見えない描写を積み重ねる律儀かつ地道なもの。なので絵は地味。

映画的でないと思うが、話の運びは無駄がないので退屈はしない。ただ、なんでその二人がおなじ部屋で寝てるわけ?とか、そんなすぐに被害者が誰だかわかるものなのか?とか、すっとばしている部分もあるので疑問は生じる。が、良くも悪くも地味で地道な話運びであるがゆえ、なんとなく納得させられてしまう。

犯人の動機はそれなりにある。マスメディアやネットを批判し揶揄する動機だが、作品ではそれを大声で叫ぶでもなく、案外淡々。で、犯人の怖さが迫るようなサスペンスかというと、そうでもなく。追跡不能、という題名なわりに犯人の素性は割れるし、その動機が案外普通なので異常性は感じない。しかも犯人はいずれつかまることを自覚している。その辺のおとなしさが作品のスケール感を小さくしているように思う。

見ている間はそれなりに面白いのだが、のめりこむというにはちょっと足りず。そして見終わったあと、それで終わりかよ、というか、なんだそりゃ、それでいいのかというラストシーンで、うーん、エンドロールのあとおまけもないのか。そりゃずいぶんあっさりとしているなぁ。

それなりにまとまったB級作品でした。題材の割りに気持ち悪さは少ないので、デートで見に行ってもセーフな映画です。

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【映画】山Pのコスプレショー、と考えればいいのだろう。−クロサギ

クロサギ』(→公式サイト)は、実に微妙な作品だった。

原作マンガは好きで読んでいる。テレビドラマも悪くなかった。映画版、これがなかでは最も劣る出来だった。そんなチープな騙し方の連発なのか、と、スケール感のない内容に、どうしたものかと首をかしげる。まぁ詐欺の映画があんまり真に迫っていては問題があるのかもしれないが。安っぽく、非現実にすぎるだろう。映画の場合、敢えてそういうシーンを描かない、という方法があるはずなのだが、なぜ愚直に見せてしまうのか。見せない描き方ではいまの観客は納得しない、ということか。

「クロサギ」で主軸となる話は、一家を崩壊に導いた詐欺師を喰うことである。その詐欺の絵を描いた大物に世話にならざるを得ない、という矛盾が本作に深みを与えている。そのあたりはしっかり踏まえ、主人公の境遇と似た人物を用意しているのだが、いや、映画版を作るのなら本来は、宿敵を食おうとする内容でないといけないのではないか。中途半端だなぁ。続編に期待せよ、ということか。商売としては正しいだろうが。

と、映画のスケールを生かしきれていないことへの不満たらたらだが、しかし。考えてみればこの作品は、アイドル映画である。アイドル映画というフレームでみれば、これは十二分によくできたものなのではないか。むかし見ていたアイドル映画は概ねこのできには程遠く、アイドル映画はアイドル映画でしかなかった。よくぞこの地平に達した、と評価すべきで、詐欺師ゆえに様々な衣装をまとう山下智久を楽しむ映画とみれば、その役割はきっちり果たしている。堀北真希の出番が少ないのはまぁ原作でもそうなので仕方がないが、なんか、こう、疲れて見えるのはすごい気になるぞ。美少女なのに・・・市川由衣がいる意味なくなっているのも話としてシンドイ。山崎努が芝居しすぎなのも鬱陶しいなぁ。ということで、逆に、山Pを堪能する以外には見所の少ない作品ではある。あとは奥貫薫の出番がきちんと多いことくらいか。 →『 クロサギ

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【映画】離れ難き別れ-マイ・ブルーベリー・ナイツ

マイ・ブルーベリー・ナイツ』(→ 公式サイト)はウォン・カーウァイ監督作品ということで単館規模と思い込んでいたが、シネコンで一斉公開されていた。映画を見ると、確かにシンプルで、これなら別に難解と思われることはないだろう。でもシネコンでかかる映画としては、やっぱりちょっと退屈で、一般的には敬遠される類の作品なのかもしれない。

こんな公開では作品の良さが死んでしまうのではないか、と考えるのは大きなお世話で、きちんと儲かりはするのだろう。この作品に向いているのは例えばバウスシアター のようなところの気がするが、音楽映画の似合う場所できっちりと売りなおせばエバーグリーンになりそうだ。

白目美人・ ノラ・ジョーンズに主演させ、音楽も一曲採用。形としては「 恋する惑星 」の踏襲で、そしてあれより話ははるかにわかりやすい。キャラクターは実に雄弁。演技は役者が見せ場とばかりに演じてくれるので、ノラ・ジョーンズは楽な役回り。演技をさせないで光らせるのが監督の巧いところか。

話はちょっと妙なつくりで、出会ったあとでどんどん遠ざかるロードムービー、ペンパルというか一方通行の手紙によって繋がる仲。そしてその輪を閉じて終える。ウォン・カーウァイというよりはジャームッシュヴェンダースに見える。ライ・クーダーが音楽となればますますその思いは強くなる。

離れがたき別れ。壊れた恋への執着、アルコール、ギャンブルへのアディクト、という要素をまとめると、そういうことか。とらわれてしまうか、そこから先に踏み出すか。主人公たちに用意されたのは、新しい出会い。そこにいたるまで、戸惑い、遠い道のりを歩むひともいるだろう。でも、ぽんと足を出せば一瞬。まぁ、そんなものだ。

美しく、わかりやすい終わり方をする、希望に満ちた一作。でもこれ、本質的には、デートムービーではなくて、失恋したひと、大事なひとを失ったひとへの応援歌のようなものではないか。

→『マイ・ブルーベリー・ナイツ

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2008年03月28日

現実世界で沸き起こるバタフライ・エフェクト

ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか、というバタフライ理論。わずかな差が拡大して結果に大きな差異をもたらす、という話だが、これをタイトルにつかった「 バタフライ・エフェクト」に見るように、フィクションの世界で用いる場合、わずかな差が結果を変えることを表現しようとするので、なんのことはない、タイムパラドックスと同じ話になる。 サスペンスタッチで扱えば同映画に、コメディタッチで扱えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」になるわけだ。

タイムトリップものは概ね佳作が多いのだが、これは、僅かな差が世界をパラレルなものにしていく、という性質ゆえ話が重層的になり深みを増すためだろう。パラレルな世界ではキャラクターが変わる、というのが前提であるため、薄っぺらい人物が存在しえない。その分つくるのは面倒なわけだが、出来上がった作品は少なくとも普通に時間が流れる物語よりは重層的な分厚みが出る。同じ時間で複数の人生を送るわけだから、それは面白くなるに決まっている。なお好き嫌いは別の話。好悪を切り離して作品を判定すれば、タイムスリップものの質は相対的に高い水準にある、はずである。

そんなバタフライ・エフェクトであるが、実は現実世界でばんばん起こっている。世界がそれだけカオス、複雑系になっているということなのだろう。スタンド・アローンな状況にあるものは少ないということだ。

サブプライム・ローン問題が世界経済にもたらしている影響などがその代表的な例だろう。サブプライム問題自体はたいしたことではない。初期のうち識者の少なくとも半分はそう評していた。が、あれよあれよと問題は拡大していった。どこにどう影響を及ぼすかわからない形であらゆる場所に組み込まれていたからである。この辺を見誤ったひとは影響は軽微といい、見抜いたひと は警告を発していたわけだ。ちなみに、ないない、と言っていれば事態が収拾できるかというと、そんな幸せな世の中では残念ながらない。そうした発言は余計に世界を歪めてしまう。なので、あることはあると表明してしまったほうが最終的な傷は浅く済む。嘘を突き通すと最終的に破綻してしまうというのと同じ。いや、浅い傷でそのうち治る程度ならいいし、大抵はそうなのだけれども、それですまない傷はとっとと手術しないと死んじゃうわけですよ。

そして、いまの日本。建築基準法、貸金業法、金融商品取引法による3K不況が言われている。小さな親切大きなお世話。小さな正義を貫いたことで、大きな混乱を招いている。個人情報保護法も同様。よかれと思ってしたことなのだろうが、それが全体にどのような影響をもたらすかについて思いが足らなかったように見える。余計なことをしてどんどん自分たちの首を絞めている。

しかし、映画にしてもそうなのだが、なぜ良い方向に転んでいく効果がないのだろう。まぁあるのだろうとは思うが、現実にはどうも悪い方向に話を転がず蝶のはばたきばかりが目に付く。風が吹いて桶屋が儲かるならともかく、角を矯めて牛を殺すばかり。 余計なことばかりするものがいかに多いか。

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2008年03月15日

テレビは20代にどう向き合ってゆくのか

NHK放送文化研究所2008年春の研究発表「完全デジタル時代−新たな放送サービスと選択」から。「テレビは20代にどう向き合ってゆくのか」を見学してのメモ。

20代のテレビ視聴は、国民全体に比べれば低い。1日のなかで15分以上接した人の率は、全体が85%なのに対して、20代は77%。一方、ウェブ閲覧とメールを合算したインターネットでは、全体45%に対して、20代は70% (IT時代の生活時間調査(2006))。 ただ、減っているとはいえ、過半数を超え圧倒的にテレビは強い。強いが、そのテレビに20代ではインターネットが迫っている。とはいえ、インターネットがテレビ視聴の時間を削っている、というわけではない。実際にはテレビとネットの同時利用も多い。

視聴時間自体は、過去20年の調査と比べても、週平均の時間数は、レンジの下ではあるが、減少傾向とまでは言い切れない。が、テレビに週5分以上接する人数の割合は減っている。男性20代で77%、女性20代で84%となっている(全国個人視聴率調査)。要するに、見ないひとが増加している一方で、長時間見る人は依然として存在している。両極化、ということか。

30分ごと視聴率でみると、20年前と比べて、19-23時の視聴率は低下している。特に男性で顕著。視聴のピークは男性で22時台、女性は21時台。高視聴率番組も数字が低下している。

テレビが「なくてはならないもの」と答える割合は男性で大きく減少、3割を割っている。一方で、テレビの満足度を「十分満足」とする度合いは20年前より大きく上昇、ハイティーンについで満足度は高い(「日本人とテレビ」調査)。が、これは、期待度の低さゆえ、とも判断できる。テレビを「好きな番組だけを見るほう」と「何となくいろいろな番組を見るほう」との比率は接近(「テレビ50年調査」(2002))。「家に帰ると、とりあえずテレビをつける」「ただ何となくテレビを見ている」の比率も非常に高い。

要するに、テレビを見ているひと自体は依然として多いが、テレビの重要度は低下しており、希薄化、空気のような存在になっており、環境化している。

なお、テレビ視聴の両極化、に着目した定性調査では、以下のような分析がなされていた。

テレビの視聴時間が長く(3時間以上)、テレビの重要度が高い(「なくてはならない」)とする層は、23%。一方で、視聴時間が短く(2時間以下)、重要度が低い(「あれば便利という程度のもの」)とする層は32%。(「日本人とテレビ」調査(2005))なお、視聴時間が長いが重要度が低いのは31%。時間が短いが重要度が高いとするのは6%。残りの8%は、テレビをまったく見ない、あるいはテレビは邪魔と答えた層。

視聴時間長×重要度高 の層は、仕事の充実度が低く、プライベートでも積極性がなく受身。 視長時間長×重要度低 の層は、仕事の充実度は低いが、プライベートが充実。 視長時間短×重要度低 の層は、仕事の充実度が高く生活における仕事の優先度が高い、かつプライベートもアクティブ。

重要度高の層にとってのテレビは、つけておいて安心感を得られるもの。重要度低の層にとっては、テレビは意識してみるべきもの。視聴時間長の層は、長い時間見ている割に、好きな番組ですら放送日時を覚えていない。つまり、視聴時間が長い層は、テレビと密接であるが、しかし番組へのこだわりが低い。番組を選んでしっかり見る層はこだわりがあるが、しかしテレビ全体への密着度は低く視聴時間は短い。

ネットとの関係は、テレビとの密接度と負の相関があるような形。

20代はドラマを見なくなっているが、これは、時間が割けない、という理由に集約される。嗜好性としては、バラエティ、リアリティショー、さらにはドキュメンタリーよりも下にドラマが位置してしまう。ただ実際の視聴率ではドキュメンタリーよりもドラマが上に来る。 なお、ドラマを見ないといっても、映画は楽しく見ているらしい。つまり、続き物、ということがマイナスの評価となっている。

−以上がデータとして示されレジュメにあった部分。ワークショップ自体は、ゲストのトークは面白かったが、まぁ結論が出るような題材ではないので、画期的な提案はなかった。

で、上記をまとめると、こんなところか。

・20代は確かに国民全体からすればテレビへの接触は少なくなっている。特に男性は顕著である。
・だが、そうはいっても、テレビ自体はメディアとして断然の力を持ってはいる。
・しかし、テレビの存在感は希薄化している。空気や環境としての価値は認められているが、重要性は低くなっている。その分、テレビへの満足度は高くなっている。つまり、テレビは期待されていない。
・テレビ視聴は20代でも両極化している。長時間見ているのは、仕事に充実感を感じておらず仕事を重視していない層。短時間であるのは、仕事のプライオリティが高く充実感も得ている層。テレビを「なくてはならないもの」と重要視しているのは、プライベートが充実しておらず積極的な行動をせず受動的な層。「あれば便利という程度」とさほど重要視していない層は、プライベートがアクティブ。
・テレビ番組を取捨選択しているのはむしろ視聴時間の短い層。彼らは選んでみているが、その見ている番組に対してのこだわりは高い。視聴時間の長い層は、番組に対しての執着が低い。
・ドラマに対する評価はシビア。ドラマ、というだけで距離を置く。

こうした20代の嗜好だが、実はまぁみんな断片的なデータで見聞きしているところであったので、これらのデータは改めて確認したというところ。ネットやケータイに時間をとられる、というが、ながら見はあるわけで、本や雑誌、外出、なんてものと取り合いだった昔と状況はそうそう変わらない。

自分の20代を考えると、学生時代はバイトだなんだで、社会人になれば仕事だなんだで、テレビなんて見ている時間は確かになかった。一人暮らしのひとはともかく、家族と同居だとたとえばそこにデートが加われば、自宅に相手を呼んで、ってわけにもいかないので、そうなるとますます在宅時間は少なくなるわけだ。今後はワンセグをケータイで見るというのもあるにはあるが、けっこう電波とどかないよね、あれ。それはともかく。昔も今も、テレビをよく見ているひとっていうのは、やっぱり、暇なんじゃないの?という気はする。

ただ、テレビを取捨選択している、というのは、ほうっておくと際限なくみちゃうから、と自制心でもって規制しているひとも多いようだ。すごいねぇ。ただ、確かに、テレビは受動的なメディアであり、もうそれだけだから、情報収集以外にプラスの要素はない。感動した、とかそういうのはあるだろうけれども、まぁ、それはとってつけたようなものなわけで。でも、その情報収集が、いまはネットで代用できてしまう。となれば、積極的に何かをしようという能動的な向きには、テレビはあんまり必要ない存在なわけで。

ネットとの対比でテレビがとらえられ、ネットの扱い方と同じようにテレビが扱われている、というのは一理あると思う。ただ、テレビはすでに50年以上の歴史を重ねたもので、年齢的にはオールドメディアとなってきた。要するに、年をとったわけである。フレッシュではない。今までの世代のように、猿がなんとかを覚えたかのように嬉々として毎日毎度いじっているような、そんな時代は終わったわけである。もう、古いものなんですよ、テレビってメディア自体が。そう考えれば、個々の番組ではアジャストするものはあっても、テレビというメディア全体では若年層にマッチしないのは、当然なのかもしれない。

表題の答えは、正直どうでもいいんですが、漫然とした層を狙うかニッチに徹するか、二択でしかないってことでしょう。しかし、この層は、年を重ねても、テレビに戻ってはこないのかもしれませんね。10代はテレビをどう見ているんだろう?テレビって、年寄りとキッズのものでしかない、というのがシビアな見方で、でも実際そうなんだろうな、と思いますが。そういう意味で、TBSは時代を先取りしていたのだと思う。まぁそれじゃあスポンサーとれないんだけども。

以上覚書。

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2008年03月11日

ご意見番のアカデミー批評

「地味でさびしいアカデミー賞」と書いたのは、小林信彦氏(『週刊文春』連載「本音を申せば」497回)。連載500回間近なんですね。10年ですか。
今年のアカデミー賞は地味なものだった。あまりゴテゴテしたものも困るが、ここまでサッパリしているのは、いかがなものか。
人間って、贅沢な生き物ですよね。

司会のジョン・スチュアートは、ちょっと悪趣味な発言もあったが(本人のせいではない。台本のせい)、うまくやっていて面白かったと思うのだが

脚本家のストが終わったばかりなので、賞の脚本も手抜きなのだろうと理解した。客席にスティーヴ・マーティンがいたが、彼なら脚本なしでこれより十倍も面白いことがしゃべれるだろう。
とある。一方で
暗くて地味なテーマの作品が多いのは確かだが、それはブッシュ(まだ大統領なのだ!)に責任の一端があるのではないか。
と書く。いや、だからああいうノミネートでああいうアカデミー賞になったんだと思うんですけど・・・ハリウッド≒民主党≒アンチブッシュでしょ?

ところで。助演女優賞のティルダ・スウィントンに対して

この人はまったく知らない。当人が呆然としていたから、本当に予想しなかったのだろう。マイクの前でまともに喋れなかった。
ってまた脇の甘い発言してますがいいのか。映画に関してはハリウッド一辺倒で最近の映画を見ていないわけだからいいといえばいいのだろうけど、デレク・ジャーマンの女神でありサリー・ポッターの「オルランド」の人なわけで、映画好きからは「なーに言ってんだか」と思われそう。アカデミーにそぐうかどうかは別として、映画人からしてみればリスペクトの対象でしょうよ、ティルダ・スウィントンは。で、スピーチは、そうですかね、普通にというか捻ったこと喋ってたと思いますけど。英国的なジョークまじりで。

とはいえ、実績ある俳優をノミネートしながら賞を与えない、というのは確かに失礼。でもまぁ、ジュリー・クリスティもケイト・ブランシェットも、受賞歴あるからねぇ。昨年までのスコセッシとはまた意味が違うでしょ。

アカデミー賞で気になるのは、候補となる作品の、監督とかキャストがけっこう偏っているというか硬直化しているかなということ。カンヌみたいなもので、なんていうか、常連ばっかりというか。監督だとでもコーエンとPTA程度か。キャストは結構固定化しているけどスタームービーと考えればそれも当然?

posted by happysad at 23:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・映像関連

2008年03月08日

【映画】超劇場版ケロロ軍曹3 ケロロ対ケロロ 天空大決戦であります!