映画は評論家などを試写会に招きます。これは、上映にあわせて批評が雑誌や新聞に掲載され、それが集客の呼び水となるからです。
翻って演劇の場合、こうした循環はあるのでしょうか?
映画は公開前に試写が組めます。演劇は上演前に試演をするわけではないので、評論家が鑑賞してから批評を書きそれが掲載されるまでにタイムラグが生じます。ネットならラグは小さくなりますが、しかし、初日を見たとしても既に上演が始まっているわけで、映画とはやはり条件が異なります。
また、大劇場での商業演劇はともかく、上演期間は映画の上映期間よりも短いことが殆どです。巡業していく舞台であれば地方公演には充分そのレビューは機能するかもしれませんが、この場合、その地方公演の行われる劇場で鑑賞した批評ではありませんので割引が必要です。これは映画のような複製文化ではないので致し方ないことではありますが。
更に、演劇のチケットは人気公演であれば既に完売しています。キャンセルは若干でるかもしれませんが、入手できない公演を批評されても、それによって売れ行きが伸びるわけではありません。
演劇の批評は、映画の批評と違い、当該作品の商売に殆ど影響を与えません。もちろん、評論家の評価が、その後の劇団あるいはその後の作品の行方に影響を与えることはあるでしょう。そうした結果なければ評論家は存在する価値もない業界ゴロと一緒です。が、評論家の批評によって売り上げが伸びる伸びないという判断ができないとなれば、商業的な価値は評論家の批評には殆どないと見るべきでしょう。お金を出すということは、それが相応の利益をつけて帰ってこなければ意味がありません。評論家をタダで招待するということは、客席を一つ減らして相応の入場料を減らし観客になれた人に泣いてもらっているということです。それだけの行為の代償を評論家は果たしてくれているのか、はシビアに評価すべきでしょう。評論家だって評価されるべきです。というか評論家こそ厳しく評価すべきでしょう。
で、解決策ですが、評論家を無料で招待するのはやめるべきでしょう。優先枠を設けて、当日の開場時刻までに予約があれば正価で販売することにする。予約がなければ当日券として販売する。
評論家は作品を批評することで対価を得ているわけです。作品はその対価を得るためにあるのに、その作品もタダで提供するというのは、評論家丸儲けです。いや、評論だけでは食っていけないとか原稿料安いとかそういう問題はあるでしょうから丸儲けじゃあないんでしょうけど、それはまた別の話です。チケットを取る労力と、相応の金額を払う負担、というこの双方を免除されたところにある評論は、一般人の感覚とは乖離したところにあるのは事実でしょう。


評論家の方はもちろんなのですが、マスコミの方もなかなか難しい位置にいたりします。
他劇場に携わっている方、興行主、その他諸々の関係者の方々。
たまたまそういう職業についてしまっただけの演劇好きな方も中にはいます。
その方々が、いいように自分の肩書きを利用しながら、招待で芝居を観ていることに多少、違和感を感じます。
招待券が来たから当たり前のように。
しかし、来ていただけたら、当たり前のように招待を出してしまう制作。
招待するのが当たり前の風習を失くさない限り、
演劇界に未来はないのではないでしょうか。
もっと、自分達のやっていることにも誇りを持ち、更に、招待されなくても、そういう仕事に携わっている方たちは、もっと自分の財布を痛めつつ、芝居に足を運び、更にはこの演劇界を盛り上げていくべきなのではないでしょうか?
タダなのが当たり前になっている、というのは、どんな場合でも問題だと思うんですよね。タダだから、と手心加えた評価になるのは論外ですし、だからといって手厳しい評価をするのはそれもそれで。
解決策としては、評論家・マスコミ用のプレビューを行うことでしょうが、これは手間暇かかりますし費用がバカにならない、また本番よりもプレビューに力を注ぎかねない本末転倒の発生、あるいは逆に本番ではないからということで未完成な状態にとどまり低評価に繋がってしまうなど、ナマものでハコものであるがゆえの問題点がありまして。
演劇に携わるマスコミ・評論家各位に関して言えば、本当に演劇の商業力に貢献しているのかどうか、自問すべきだと思っています。影響力がないと思うのであれば、招待を受けて観劇することは遠慮すべきでしょう。
招待する側が変わればいいのでしょうが、まぁ、それはなかなかムズカシイですよね・・・これは同情します。自分が単独のオーナーであればムダだからやめちゃえと言いますが。どうせ招待するなら、演劇未経験のブロガーご招待とかのほうがイマドキ影響力ありますもの。手取り足取り教えてあげることは必要ですけど、そうした経験のほうが役に立つことも多いと思いますし。